1940(昭和15)年~1941(昭和16)年、ユダヤ難民はナチス・ドイツの迫害等から逃れるため、リトアニアのカウナス領事代理・杉原千畝氏が発給した「命のビザ」を携え、リトアニアからウラジオストクを経て、敦賀港に上陸しました。苦難の旅路を経て敦賀に降り立った彼らは、敦賀の街が「天国(ヘブン)に見えた」と後に語っています。
展示では、彼らが敦賀に上陸するまでの経緯や上陸当時の状況、日本から旅立つまでの出来事を紹介します。敦賀上陸当時のユダヤ難民に関する市民証言のほか、命のビザのレプリカ、ユダヤ難民が残した時計などを展示しています。
ユダヤ難民のエピソードをアニメショーンで紹介します。
迫害から逃れるため、ビザの発給を待ち続けたユダヤ人家族が初めて目にした「敦賀」と、そこで出会った人々。過酷な運命の先に彼らが抱く想いとは―。
ウラジオストク-敦賀間のユダヤ難民輸送業務等を担ったジャパン・ツーリスト・ビューロの職員・大迫辰雄氏が残したアルバム。アルバムには、献身的に接したことに対する感謝の気持ちとして乗船客から大迫氏に手渡された写真が収められています。
敦賀に上陸したユダヤ難民たちを当時の敦賀市民は温かく迎え入れました。日本海地誌調査研究会が収集した敦賀上陸当時の詳しい状況に関する市民証言を紹介しています。
敦賀港に上陸したユダヤ難民は食料やお金に換えるため、所有していた時計や貴金属等を敦賀駅前にあった渡辺時計店で換金しました。買い取ったものの多くは1945(昭和20)年の空襲により焼失しましたが、この時計は焼失を免れ、ユダヤ難民が残していった時計として展示しています。
杉原千畝領事代理が発給した日本通過ビザのリストや敦賀に上陸した人々のビザなどのデジタル化資料を見ることができます。